さとう陸 暗闇のブログ

ネガもポジも、ひたすらその時の感情に素直になるブログです。

5月5日 未来がまたひとつ 僕らに近づいてる

 

今日は"こどもの日"だったね。

僕は昔から鯉のぼりってやつが大好きで、想い出は幼稚園の頃までに遡ります。

自分が通ってた泉の杜(いずみのもり)幼稚園という田んぼと田んぼの真ん中にある、

とんでもなくよくわからない高台にある幼稚園での、風にたなびく大きな大きな黒と紺色と赤色の鯉のぼり。

なんかスーパーとかに売ってるスティック状になって、旗みたいに振り振りできるミニマム鯉のぼりも好きだったなあ。

なんかね、あの鯉のまんまる黒目の瞳と、模様が好きなのよ。

自分の大切な家族が出来たら、しっかりとこどもの日には鯉のぼりを自宅に掲げようと決意したそんな日でした。

 

 

いや、それにしてもピアノを発明した方、もう本当にありがとうございます。

ピアノの先祖はチェンバロというチャリンチャリンケロンケロンという音がするあの可愛らしい楽器らしいですね。モーツァルトも弾いていたとか、、。

さて、YouTubeMr.Children 桜井和寿さんや音楽プロデューサー小林武史さんらの主宰するAP BANK FES.の映像を久々に見ました。

ちょっと前から洋楽アーティストやシソンヌ、ハナコなど大好きなコント師の動画ばかり身漁っていたのですが、なぜか右の方に並ぶ"オススメ動画"みたいな場所に、歌手のKANさんが変な戦国時代の甲冑のようなもの見に纏い、ピアノを弾くサムネイルがいーっつも出てきていたのさ。なんかその時はウザいなあ。なんでこんな格好してるんだろう?とまで思ってシカトしていた。

 

でも最近ピアノの練習に熱心になっているので、気になって再生してみたらもう、

素晴らしいの一言(涙)。

僕の個人的な想い出の一曲、Mr.Childrenの「and I love you」を少しキーを低めにして歌っているのです。

なんだかAP BANKではKANさんは結構常連アーティストらしく、また彼の" コスプレ"もイベントでは定番化しているもののよう。

「なんかうぜえな」とサムネを馬鹿にしていた自分の上空をスーッと爽やかに超えて飛んでいく、煌くようなピアノのタッチのイントロ、彼の純粋でユーモアに溢れた人間性を感じさせるあたたかい歌声に感激した。

というかAP BANK FES.ほんとうにきれいです。季節が夏に行われ、大きな水色な青空のもと、彼らがデザインしたであろう、ピンクや水色、黄色などのほんとうに色鮮やかなTシャツを着た沢山の笑顔。美しすぎる。

こんなイベントにいつか大切な人を連れ、行きたいと強く思いました。

 

ただ、ここで思い出したのはInstagramのストーリーズで流れてきた、イベント主宰会社"Live Nation Japan"の「コロナ緊急事態宣言以降のコンサートに関するアンケート」のことだ。

これには一音楽ファンとしてすごく引っかかったので、アンケート協力する事にしたのだが、その内容は今までの音楽コンサート等では考えられなかったような、とても"手間のかかる実施検討案”ばかりだった。

各項目に対してアンケート入力者が0から10の段階評価で"やるべき"か"やらなくていいか"を入力できるもの。

 

例えば、

・会場入場の際に接触をともわないようなチケットもぎり(コンサート会場入場の際にスタッフがチケットの半券を回収する行為)の方法を行うべきか?

 

・スタンディング形式でのライブを行う場合、観客一人一人の間にソーシャルディスタンスを意識した客席づくりをするべきか?

→これに関してはライブハウスなどのような小規模なコンサート会場に置いて、ソーシャルディスタンスを意識した客席づくりを行う場合、会場のキャパシティに対して今までお客さんを9〜10割入れていたものが、5〜6割と収容人数の設定を低くする事になるだろう。よって壮絶なチケット争奪戦が予想される。

 

・会場内での飲食を禁止にするべきか?

 

・会場入場時に検温、手指の消毒等を全ての参加者に対して行うべきか?

 

・有料のライブストリーミングサービスを行う場合、参加したいと思うか?

 

 

などなど。

めちゃめちゃあって、もっと大事なことあるのだけれど、忘れてしまった。

 

https://www.surveymonkey.com/r/RBLBSPG?lang=ja

※よかったらやってみて。5分程度で終わります。

 

 

ただひとつ言えることは今までの音楽ビジネスの展開の仕方が様変わりする事になるということ。自分もレコード会社で働いていたので、その辺の自体の深刻さは痛いほど伝わってくる。

avexの松浦会長も言ってた。「音楽ビジネスにおけるニュースタンダードを作らないと。」って。でも自分は引退して一音楽ファンとして、音楽を楽しみたいんだってさ。

 

CDが売れなくなり、(というか無料サービスで素晴らしい音楽を浴びるように享受できる環境で育ってきた若者からしたら仕方ない。)

イベントやライブでの集客、趣向を凝らしたグッズ販売の売り上げに、レコード会社は力を入れてきたここ十数年だったのだろうけど、

そのせっかく苦労して作り上げたニュースタンダードさえ、また新たなものに刷新しなければいけない状況。すごくすごく、大変。それしか言えない。

 

有料ライブストリーミングというものをもっと実用化し、それで収益をあげ、きちんと

アーティストが衣食住が保証された、クリエイティブでい続けられるような環境を保ち続けないと日本の音楽は廃れてしまう。

それはもちろん、イラストレーター、絵描き、映画・俳優業界、全てのアーティストに関しても言えることなのだが。

 

でもね、さっきのAP BANK FES.の話に戻るけどさ。

いくらライブストリーミングで素晴らしいアーティストのパフォーマンスを観れるようになったとしても、ライブグッズのTシャツはその暑くてたまらない会場で、大切な友人や恋人と一緒になって着るからこそ、意味を持つのよな。

イベント、特に野外フェスなんてのは、空間・想い出の体感というものが醍醐味だからなあ。

匂いとか気温とかを感じられるVRの時代に突入するのか。それはやっぱり寂しいのである。

 

すげえ書いたけど、答えは浮かんでこない。だからとりあえず今日のとこは考えねえ事にします。

 

 

 

 

 

 

今日の一曲(二曲) KAN & 桜井和寿BANK BAND「and I love you」

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※「どうしようもなく急に〜」っていう大サビ前のフレーズがあるんだけど、アレンジされててめっちゃめちゃカッコ良い&涙涙なのさ

 

二曲目 ASKA & 桜井和寿BANK BAND名もなき詩〜YAH YAH YAH」

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ASKAさんがなんかステージから片手で側転みたいなのして、観客席に降りるとこあるんすけど、スーパースターじゃんって感じです。

5月4日 転がる石のように

 

何を見ているのか、一体何を見させられているのだろうか?

わからない。

 

今は高速道路の脇かなんかで、通り過ぎるハイスピードの車をただただ眺めているような感覚に陥っている。

毎晩、鏡を見ては顔に出来たにきびに薬を入念に塗りながら、ふと思う。

俺は、俺の肌は一体何に備えているんだろうか?

 

勇気が出なくて電話が出来なかった。

サーキュレーターのそよ風と肌を程よく疼く痒みがわりと心地よい。

そよかぜちゃん、元気かなあ。

 

 

 

今日の一曲 Bob Dylan and The Rolling Stones "Like A Rolling Stone"

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5月3日 なんだかあたたかい

 

今日はなんだかあたたかい、良い日だった。

何をするでもなく朝の8時くらいから自分が最高に素晴らしいと自負して止まないプレイリストを右耳に差込みながら、1時間くらいかな。知らない街、知ってる景色を走り続けた。

その後もひたすら公園で笑い合う何種類もの家族のかたちを傍観したり、すごく自分ごととして考えたりと、すごく有意義な空間に居座り続けた。

 

はっきりと言って、ここ1ヶ月死ぬほど病んでいた。

単純に独りが最大級に苦手である自分自身がこの期間に廃人と化してしまうというのは明らかだったんだけど、それに追い討ちをかけるように、自分が好きなメロディを持った歌の歌詞づくりが難航に難航していたのです。

机に向かうぞ、机に向かうぞとする度に、自分の首を自分自身で本気で締めにいってるような恐ろしく気が向かない気分になっていた。

 

すごくシンプルに自分自身の今までや自身の期待を何が阻んでいるのか?という疑問に関して、ひたすら答えを探すってのは、かなりえぐい作業だ。

親愛なるミュージシャンのどんな歌も、そこに万人に通じる"答え"ってやつが存在している訳じゃない。

どんな人でも引き算、足し算、割り算繰り返して、数式とかどうでも良くなったりして、その世界観における気休めみたいなものを綴っているのだろう。

 

それでその歌ってのは自分の為に書かれているものほど、誰かの数千億分の一の気分にタイミングが合致した時に、おそろしく力を発揮するんだと思う。

結局まだ最後の最後は書き終えてないんだけど、なんか自分なりの気休めが見つかったから、なんか明日に関して希望を持てるようになった。

 

あとは僕は、このブログを"暗闇のブログと"名付けよう。

暗闇は吐き出すに限る。これは間違いない。

自分の中の悪魔が強いとか、もうどうでも良いよな。

自分で浄化させたるわ。

 

また、どんよりした気分の日に会おうね。ましょう。

その時にはまた、とことんネガティブに一緒になってあげる。

  

 

今日の一曲 Charlie Puth 「One Call Away」

 

 

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5月2日 無理なもの

自分を好きになるなんて、やっぱり無理だ。

自分の目が嫌い 鼻が嫌い 口元が嫌い。

母親だって祖父だって遠くにいる自分のお父さんの顔だって嫌いではない。

でも自分の顔は救いのないように、大嫌いだ。

誰に好かれることもなく、ただただ一人で過ごした日々。

現実と理想。そんな言葉を囁かれてはいつも死のうとしていた。

でも何で僕は死ぬことが出来なかったんだろう。

2009年だって、2011年だって死ぬことは出来た。

でもなんで僕はいつも放って置かれてしまうのだろうか?

 

元来かどうかはハッキリしないけど、僕は最初から暗い人間だ。

それを払拭しようと面白そうな態度を取っているけれど、

自分の醜い表情と合わさってもう、他人からは興味を持たれない死ぬほど嫌な人間だ。

人間に顔なんてなければと心から思う。

意外と目しか見えない今の人類を気に入ってるのかもしれない。

でも、マスクは取らなければいけない。

 

僕にはハッキリとした希望があった。

でも希望はただただ、僕の嘘の人生には交わらない。

でもまだ生きるんだろう。

ハッキリ言って死にたくはない。執念なのかなんなのか。わからない。

ただウダウダし続けるんだろう。音楽をただ聴きながら。

 

さようなら。

 

 

今日の一曲 Carpenters 「Rainbow Connection」

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4月10日 暗闇に惑う影

この先の見えない暗闇の中で、ひとつだけ自分に課している事がある。

それはとにかく自分自身をより良くする事だ。

 

人望も何にもない。あちらからやってきてくれるものなど僕の人生には無いと再び聴かされてしまったから、もう。

それ、しかやることが無いのだ。

 

ちょうど1ヶ月前になるだろう。

グアムのホテルのプールで地平線と空の蒼に照らされ、世界と繋がったような感覚になったのは。

でも、それは見事に崩れ落ちてしまった。

また、個人に逆戻り。

 

人間関係というのは何とも信じ難いお伽話である。

関わる機会がなければ、気まずくなる事も無い。

だから相手に気を遣って、使命感に駆られ、返答する必要も無いのだ。

 

僕はいつだって、ただ友達が欲しいだけだった。

自分にとって大好きで大好きで仕方ない人、

でもいっつも自分の愛ばかり大きくて、一方通行の道を突き進んでは、

行き着く先は行き止まりだった。

 

まあ、いつもの通りですね。と首を傾げ、とぼとぼと歩いていく自分のうしろ姿が見える。

そして不思議なことに、やけに冷静な自分自身がその姿をいつも遠くから、

ドラマでもみるようなお伽話的感覚で見ているのだ。

何とも不愉快である。

 

自分は幸せになりたいのに、なぜ自分はことごとくそんな自分を邪魔するのだろうか?

 

暗闇の中を携帯電話も持たず、走り続けた。

ふと周りに目をやると何もかも見たことの無いような風景に見えてきて、

魂のありかに迷ってしまった事に、異常なほどの恐怖を憶えた。

 

今日は頭がもうまわらない。

楽しみに買った春服が、いじけてる。

 

 

 

今日の一曲 Oasis「Slide Away」

 

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4月9日 曝け出される本質

 こんな有事にわざわざ曝け出されてしまった。

勿論、自分自身でもなんとなく理解していたことでもあったのだけれど。

こんな時にわざわざ示されなくても、と明確にいじけている。

 

そう。

交錯に交錯し、絡まり合ってお互いを思い出してしまったのだ。

10年前、あの西日が差し込む仙台の部屋で眠り続けた記憶と、

15年前、新潟のインターチェンジに面する窓の側でブラインドから溢れ落ちるオレンジと、擦り落ちる走行音の間で逃げ続けたあの記憶を。

今、この何の光も差し込まぬ、強制的にさっぱりさせられた静寂の中で身悶えている空間が、その2つの宇宙と、嫌というほどリンクしている。

 

また、同じシチュエーション。

僕は眠りに眠り続けた。

今では見る夢の何と素晴らしく壮大でスペクタクルなことか。

現実は何とも虚しい。

昨日、「彼」と話し、自分の中で明確になった事実がある。

動けない脚の記憶は忘れ去られ、リハビリもせずに屋上から何か隣の建物に飛び移ろうとしていた。

そして、誰のものでもない高尚な絵画をいかに私物化していたことか。

 

誰かを好きという気持ちのピュアさを僕はいつまでも、何よりも美しいものだと信じ続けていた。

でも本当は、ただ、その行為が、

そんな自分自身がすごく気持ちよかっただけなんだ。

 

好きなんて言葉はひどく身勝手で、押し付けがましく、強欲なものだ。

そんなものを愛でいっぱいの器に注ぎ続けていた。

「結構です。」彼女はそれを言えないだけだった。

ごめんね。

 

 

こんな日はOasisの重たくメランコリックなサウンドが心に降りしきる。

この世界で僕は限りなく「単一」だ。

考えは宇宙へと飛んでゆく。

 

また取りに戻るよ。

 

今日の一曲 0asis「Morning Glory ~ Untitled ~ Champagne Supernova」

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