5月16日 目を開けて夢を掻く
夢を見る。毎回それは"同じ場所"で。自分はなんか幸せそうだ。
そこには幼少期の記憶や好きだった友達、好きだったヒーローにFF7などのゲームなどの設定が混じり合い、それはそれは"安心できる場所"だ。
そちらの方が自分を楽しませてくれる。
それで毎朝、毎昼、毎夜、そんなものと戦っているのですが。
今日は雨でした。
昨日までは順調だったピアノの練習も何度椅子に座って、背筋を伸ばしても、キツかった。
最近はのだめカンタービレを見てるんだけど、とても内容が素晴らしい。
改めて音楽への探究心と興味を増幅させてくれるドラマです。
でもね、ただ本当に個人的にのだめと千秋先輩の恋模様を見ていると、とても胸が苦しい。それこそハッピーな恋なのに。
自分は今どんなドラマや映画を見ても個人的な事に直結して、つらい。
あと玉木宏さんの顔を見ているとつらい。憧れだった。そんな風になるのが。
"ルッキズム"今まで聴き慣れなかった言葉を最近覚えた。
Twitterあるで女性が整形の前後の写真を載っけて、事情を知らぬ男どもから「前の方がよかった」などのどうにもならない戯言で叩かれているのを見かけた。
違うのよ。ありのままで。そんなものはありえない。
例えばそのレベル?みたいなものが一般的に無知な輩が言う"大丈夫"なレベルであっても。個人が気にする外面はもはや心を整形したいと言うものに近い。
他人が言うことではないのだ。だったらその過程にいる時期に責任を持って、その人の存在を全肯定するほど愛して見せなきゃ。きっと逃げるだろ。
この問題は本当に現代に於いて、根深い。
関係ないかもだが、誕生日占いやMBTI診断が同じだからといって、その類の人たちが同じ性格で、同じ人生を歩むわけがないこと、をご承知の通り。
ルックスの優劣は人生に明暗をつける。
こんなものに世界は支配しされているのか。
今はあの頃よりはマシでも、完璧と言う" 安心"できる地点を求める欲は渇くことない。
身体的魅力はよいものと関連づけられる。他方、身体的に魅力がないことは悪いものと結びつけられる。多くの人々が、身体的特徴で他者を判断する。その人がどのような身体的特徴を持っているかによって、人々の対応の仕方は変わるのである。"美しきものこそ善"というステレオタイプに関する研究によれば、身体的に魅力的な人たちはそのルックスで得をする傾向にあったという。身体的に魅力的な人はよりポジティブな評価を受けるし、身体的魅力は能力の評価にも強い影響を与えていた[3]。身体的に魅力的な人々はそのようなステレオタイプから利益を得ていたといえる。平均してみれば、身体的に魅力のある人物は友人がよりたくさんいて、より優れたソーシャルスキルを持っており、性生活の頻度も多かったことが研究からわかっている。しかし、このような身体的魅力を持っていても、主観的な幸福レベルにはなんら影響を与えないという
※wikipediaより引用。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AD%E3%82%BA%E3%83%A0
今日の一曲 エレファントカシマシ「今宵の月のように」