4月9日 曝け出される本質
こんな有事にわざわざ曝け出されてしまった。
勿論、自分自身でもなんとなく理解していたことでもあったのだけれど。
こんな時にわざわざ示されなくても、と明確にいじけている。
そう。
交錯に交錯し、絡まり合ってお互いを思い出してしまったのだ。
10年前、あの西日が差し込む仙台の部屋で眠り続けた記憶と、
15年前、新潟のインターチェンジに面する窓の側でブラインドから溢れ落ちるオレンジと、擦り落ちる走行音の間で逃げ続けたあの記憶を。
今、この何の光も差し込まぬ、強制的にさっぱりさせられた静寂の中で身悶えている空間が、その2つの宇宙と、嫌というほどリンクしている。
また、同じシチュエーション。
僕は眠りに眠り続けた。
今では見る夢の何と素晴らしく壮大でスペクタクルなことか。
現実は何とも虚しい。
昨日、「彼」と話し、自分の中で明確になった事実がある。
動けない脚の記憶は忘れ去られ、リハビリもせずに屋上から何か隣の建物に飛び移ろうとしていた。
そして、誰のものでもない高尚な絵画をいかに私物化していたことか。
誰かを好きという気持ちのピュアさを僕はいつまでも、何よりも美しいものだと信じ続けていた。
でも本当は、ただ、その行為が、
そんな自分自身がすごく気持ちよかっただけなんだ。
好きなんて言葉はひどく身勝手で、押し付けがましく、強欲なものだ。
そんなものを愛でいっぱいの器に注ぎ続けていた。
「結構です。」彼女はそれを言えないだけだった。
ごめんね。
こんな日はOasisの重たくメランコリックなサウンドが心に降りしきる。
この世界で僕は限りなく「単一」だ。
考えは宇宙へと飛んでゆく。
また取りに戻るよ。
今日の一曲 0asis「Morning Glory ~ Untitled ~ Champagne Supernova」